これは、私が今回初めて外国人と一緒に旅をして、タシのあまりのワガママっぷりにあきれ果てた記録である。
タシとのデリー旅行は大雨から始まった。
冷気を一切出さずに水ばかりたらしてくる新機能のエアコンのために、皆バスの中なのにびしょ濡れになりながらデリーへ。
私はここ数日のハードワークがたたって頭痛と肩痛がひどく、その上腹の調子が今ひとつだったので昼間飲んだインドの薬の副作用で胃がやたらと気持ち悪く、生まれてこの方乗り物酔いをしたことがなかったので、初めてその気持ちが分ったような気分だった。
デリーの北にある「マジュヌカティラ」というチベット人キャンプ内のホテルに投宿した。
タシのわがままっぷりはご飯を食べるときに目一杯発揮された。
タシはとにかく安い店にしか興味がない。
この日の朝ごはんも散々あちこち回った挙句、看板も出ていないような店に入り、
勝手に卵とポテトとパンを注文した。しかも、出てきたポテトが小皿にちょっぴり、パンは冷え切っていたことに文句を言い出し、
「僕はこんなの食べたくない。オバマが食べて。僕はちょっと外に行ってくるから」
と言い残し、更には店員にひとしきり文句を言った後、どこかに行ってしまった。
仕方なくそのポテト(ちなみにこれも冷え切っていた)と玉子焼きでパンを食べ、タシを待っていると、30分ほどして戻ってきたタシは上機嫌で、
「いいレストランを見つけた。ポテトはここの3倍くらいあるよ。うまかったなあ。明日はオバマもそこで食べよう。ここのはバッドフードだ」
と言った。
おーい。私はそのバッドフードをあなたに押し付けられたんですが・・・。
その日の昼はタシ念願のネループレイスというデリーの秋葉原と呼ばれるパソコンショップが密集した地域で食べたのだが、この時もネループレイスの店員にこの辺で一番安い店を訪ね、何と20RP(40円 )でダルとカレー的なものとチャパティが付いてくるという最強のローカル食堂に行くことに。
このときはスコールにたたられ、食堂の屋根のビニ-ルシートが吹っ飛んだために、雨水を20%くらい含有したカレーを食べることになった。
これに懲りて夕食は私が払うから、値段は気にしなくていいよと言ったのに、またまたマジュヌカティラの看板が出ていない系のローカル食堂に行き、勝手にビーフのモモ(チベタン餃子)を頼んだ上に、熱いチャイまで追加。
デリーの暑さの中を一日タシに引っ張りまわされてへとへとの上に頭痛がひどく、とてもビーフなんて食べられないと、確かさっきタシに言ったはずなのになぜかビーフのモモ。
さすがに半分しか食べられず。
今日も本当に半端ない暑さの中、マジュヌカティラ近くのマーケットにタシの親戚に頼まれた買い物に付き合った。
一時間待ってもタシが店員にあれこれ難癖をつけ続けているので(基本タシはものすごい文句言いです)
「ちょっと一旦ホテルに帰っていいか」
と聞いたら、
「えー、でもこれから一緒にその辺を回ろうと思っていたのに。それに、たくさん買い物しちゃったから、これ、持ってよ」
と言われ・・・。あの・・・トイレに行きたいんですが・・・。
その後はラージガートというガンジーゆかりに地に行ったが閉まっていたり、コンノートプレイスというデリーの中心街に行ったら大雨に降られて地下鉄に逃げ込んだりしながら、マジュヌカティラ近くの駅まで戻った。
駅に着いたら、雨がものすごい降りになっていた。これを見たら、日本の集中豪雨を見て、「わー、スコールみたい」なんてとても言えないくらいのものすごいスコールだった。ひっきりなしに雷も光っている。
タシは今日の18時のバスを予約済みなので、時間が気になって仕方がない。
終いにはこの大雨の中をサイクルリキシャで宿まで帰ると言い出し、一緒に雨宿りをしていたリキシャのおっさんを口説き始めた。
リキシャのおっさんはかなり嫌そうだったが、タシの強引さに負けてしぶしぶ自転車の用意を始めた。
タシを一人で先に行かせても良かったが、どうしてもタシに渡したいものがあったので、私もデジカメ、iPhoneその他がびしょ濡れになること覚悟で一緒に行くことにした。
「リキシャまで走るぞ!」
というタシに付いてメトロの駅から全速力で走り、リキシャに飛び乗ったが、走り出してみて、リキシャの屋根なんてあってもなくても一緒だということに気づく。
リキシャのおっさんは膝下くらいまで水が溢れた道路で必死になってペダルをこいでいる。
私は全身ずぶぬれ、カメラなどが入っているバッグも、パスポートが入っている腹巻もすべてびしょ濡れになりながら、1秒でも早くマジュヌカティラに着いてくれることを願った。
マジュヌカティラに着き、リキシャが止まった所からまた全速力で宿まで走る。
角を曲がったところで、考えられないような失敗をしてしまった。
角に立てられていた土産物屋の屋根から張られたロープに眼鏡を引っ掛けて、落としてしまったのだ。
あわてて辺りを探したが、良く見えない上に道が完全に濁流になっていて中に手を突っ込んで探してもまったく見つからない。
その店の主人らしいチベタンが、
「もう流れて行っちゃったよ。後から来た方が良い」
といっていたが、どうしてもあきらめ切れなかった。
実は眼鏡の代えは持ってきていた。
でも、落とした眼鏡にはお金に代えられない思い出があったのだ。
必死になって探していると、いつまで待っても来ない私を探してタシが戻ってきた。
「どうした?」
と聞かれ、
「眼鏡を落とした。一番大事なものだ。私は探しているから、タシはもう行ったほうがいい」
と言った。
タシは、
「雨がひどいからとりあえず一緒に行こう」
と言ったが、それも聞かずに
「ここで待つ」
と言ってしまった。
タシは一旦ホテルのほうに戻っていった。
私は全く止む気配のない大雨の中で途方に暮れてしまった。
もうバッグが濡れているのも、パスポートがどんな状態になっているかなんてことも一切気にならなかった。
しばらくすると、ホテルのほうからタシがやって来た。
「眼鏡有ったぞ!」
タシの手には眼鏡が握られていた。
手にすると、間違いなく私の眼鏡だった。
「どこにあった?」
と聞くと、
「ずっと下のほうまで流れていた。もう少し行ったら流れがきつくなるから、もう見つからなかっただろう。女の子が拾ってくれていた。本当にラッキーだ」
と言った。タシは流れを見ながら道のずっと先まで探しに行ってくれていたのだ。
「ありがとう・・・」
それしか言えなかった。タシは、
「もうバスはキャンセルすることにしたよ。明日でも良い」
と言った。
「一番大切なのはオバマだから」
と。
それを聞いて、
「まだ間に合うよ、急ごう!」
と言った。
タシは確かにワガママだったかもしれない。文句言いだったかもしれないし、ケチだったかもしれない。
でも、もしかしたら、ご飯が安く済むようにと言うのも私がもうお金が残り少ないと言っていたからかもしれないし、この2日間に買っていたものもほとんどがタシの親戚や知り合いに頼まれたものだった。
ラージガートに行ったのも、コンノートプレイスに行ったのも暑さでまいっている私を見て、できるだけ歩き回らずに休める場所を選んでくれていたんだと思う。
昨日の朝ごはんの件は・・・まあ、置いておいて、これがワガママっていえるんだろうか?
それに対して私がタシにしてあげたことは、物やお金をあげることだけだったんじゃないだろうか?
結局、子供っぽくてワガママなのは自分のほうだったんだろう。
部屋に着き、出かける用意を済ませると、タシは、
「これ、オバマに・・・これから一人だから、十分注意してね。特に眼鏡」
と言って、私に「カタ」を掛けてくれた。
カタは、別れの席やお祝いなどで相手の肩に掛ける白い布で、相手の無事と幸運を祈るようなものだ。
そして、これこそ私がタシに渡したかったものだった。
私もバッグからカタを取り出して、
「タシデレ」
と言って、タシの肩に掛けた。
タシの買った、インスタントラーメンのダンボールを持って(これもお姉さんに頼まれたもの)、一緒にバスが出る場所に走った。
当然のようにバスはまだそこにいた。
時計を見るとちょうど出発時間、18時になっていた。
そして、これもまた当然のように、それから30分以上もバスは発車しなかった。
タシは
「僕はもう着替えたから、オバマも早く宿に帰って着替えたほうが良い」
と言ってくれたが、発車するまでタシに付き合った。
最後は握手とハグをし、
「Thank you for your everything!!」
と言って、バスに乗り込んで行った。
バスの窓から手を振るタシに、
こちらも必要以上に大きく手を振った。
バスはクラクションを鳴らして走り出し、私の思い出と一緒にどんどんデリーの夕暮れに向かって突き進んで行った。
眼鏡は奇跡的にあれだけ濁流の中を流されたのに、ほとんど無事だった。
ただし、左のレンズに1本だけ傷が付いていた。
この傷を見るたびに必ず今日のことを思い出すだろう。
そして、一生忘れられない、この2ヶ月間のことも。