最初に「タンカを描きにインドに行きたい」と話した相手は、それをどう受け取ったのだろうか?
結局、今回の旅はそれを知りたくて旅立ったのかもしれない。
宿→インディラ・ガンジー空港(タクシー)
インディラ・ガンジー空港→成田空港(飛行機)
成田空港→吉祥寺(エアポートリムジン)
吉祥寺→自宅(タクシー)
という、最強に楽な方法をすべて選択し、本日午後2時、無事に帰宅いたしました。
さすがに昨日の午後の時点ではまだかなり熱があったはずなので、体は傾いでおり、数日の休養を要すると思いますが、何にしてもこうして家まで帰りつくことができたのは背中にしょった仏様のおかげ・・・ではなく(笑)、上記のように最強に贅沢に金をばらまいたおかげであります。
2日間ほぼ何も食べていなかったので、今日の夕御飯のあとはやはり腹痛に襲われ、そうそう体もすぐの回復は望めませんが、日本の水に慣れる頃にはきちんと飲み食いできるようになるでしょう(笑)
とりあえず2カ月の違和感はどこにも感じず、500円の買い物をするのに5000円札を出しても嫌な顔一つしない店員にも特に驚かず、エアコンがきちんと調節できるエアポートリムジンも当たり前のように乗り、唯一、AKBのヘビーローテーションを見て、大島優子がセンターなことに軽い違和感を覚えたくらいでした。
さて・・・
いままで、「旅」というのは自分にとってリセットボタンのようなものだった。
旅に出ることで現実の生活を切り離して無責任になること。それまでの生活をいったんリセットすること。
その為の免罪符のようにいつもフトコロに「旅」を忍ばせながら仕事をし、生活をしてきた気がする。
でも今回ばかりは、5月31日に臨時雇いでの仕事をすべて終えた瞬間に、リセットボタンは既に押されてしまっていた。
そして、
「インドへタンカを描きに行ってくる」
という言葉は、スタートボタンとして存在していた。
「それ」を押すことによってのみ、私は少しでも前に進める気がした。
そして実際にタンカを描いて思ったのは、タンカは決して自分のヒーリングや次へのスタートのために描くものではないということだった。
タンカは決してアート作品ではなく、それを前に瞑想する人、それに何らかの想いを寄せる人がいて、初めて意味があるのだということを知った。
この2カ月でタンカの画集を山ほど見た。中には本当に素晴らしい作品もたくさんあったが、そのすべてに「作者」の名前はない。
それはタンカがアートではなく、チベット人たちの生活に欠かせないツールとして存在しているからだと思う。
それをだれが描いたかは重要でなく、それを手にして、それに想いを寄せる人々が重要であるということ。
それをタシから学び、そこにタンカの魅力を感じた。
でも、悲しいかな、わたしはまだまだ駆け出しなもので(笑)、まだまだ蓮がうまく描けていないだの、シェイディングに一部不満が残るだのと考えてしまう・・・。
今度描くときは、そのタンカに想いを寄せる人たちのことを考えながら描こうと思う。
ともあれ!この旅もこれにて終了。
今はいい感じに頭がぼーっとしているので、すべてを思い出として消化できてはいない。
しばらくは、まだ旅の続きを頭の中でうろうろしていたいと思います。
毎回のようにコメントをくれた、To-yさん、kidoさん、そのほかコメントをくれたたくさんの方々、本当にありがとうございました!
また、コメントをしないまでも、ここまで付き合っていただいたすべての方々、時たま覗いては「まだ完成しないのか」と思っていたかもしれない方々、そして偶然通りすがりに1度だけ見ていった名も知らない方々も、すべての方に心から感謝します!
あ、最初の文章の「答え」ですが、旅が終わった今なら、こう思っていたんだろうな、と確信しています。
「それはとてもあなたらしい考え方だ」
私は結局変わらなかったと思うけれど、これからも「私らしく」生きていきます!
次の旅立ちの日まで・・・
それでは~
14/8/2010
「かみさまを描く手」 The End